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後藤宗家

| 後藤宗家は、始祖の祐乗から第17代の典乗まで続いた。6代栄乗のとき、家康より幕府の分銅大判改め役および彫物役に任命された。 |
始祖 後藤祐乗 (1440 - 1512)
後藤基綱の子として永享十二年 (1440) に生まれ、出身は美濃国といわれる。幼名・経光丸、通称は四郎兵衛、名は正奥。剃髪入道してから祐乗と号す。
足利将軍家より扶持を受け、義政の側近として仕えた。
従来の美濃彫りの様式を集大成して新機軸を編み出し、「後藤風」を確立した。
祐乗の作品に有銘のものはなく、そのすべては後藤家後代の人たちなどが極めたものである。 |
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後藤祐乗像
(1440 - 1512) |
二代 宗乗 (1461 - 1538)
祐乗の次男で、二郎という。宗祐とも号した。40歳で剃髪入道して宗乗と号す。作柄は父に似ており、さらに洗練されているといわれる。(ただし、加納夏雄は「宗乗の彫は祐乗に似て穏やかに大様たる彫方なり。龍獅子の類祐乗より大形にして
肉合低し。品格ある作なり。然し父祐乗に及ばず」と言っている。) いずれにしても、後藤風彫金を完成させ、後藤家の伝統の基礎を固めた功績は大である。宗乗にも有銘のものは無く、現存する彼の作品とされるものは、後代後藤家の極めによるものである。 |
三代 乗真 (1512 - 1562)
宗乗の長男。通称・四郎兵衛、名は吉久。足利義晴と義輝の二代の将軍に側近として仕え、政務の面でも活躍した。乗真は、法眼に叙され剃髪した後の号である。戦国時代の武人としての性格も備え、永禄五年
(1562) に戦死したと伝わる。彼の作品は、男性的な力強さに溢れ、作り手の性格をも覗わせるものである。
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四代 光乗 (1529 - 1620)
乗真の嫡男。幼名・小一郎、通称・四郎兵衛。名は光家。剃髪入道して光乗と名乗った。織田信長に仕え、天正九年に信長の命により、大判および分銅の役を拝命している。信長の没後、豊臣の世になっても、引き続き大判・分銅の二役を受け、彫金のほか経済の面でも重用された。晩年には法眼の位に昇っている。この人の作風は、始祖・祐乗の風に似ているといわれ、在銘の作品もいくつか残っている。元和六年、92歳の長寿で没した。 |
五代 徳乗 (1550 - 1631)
光乗の嫡男。幼名・源治郎、のちに四郎兵衛を襲名、名は光基。父の光乗とともに豊臣秀吉から大判・分銅のニ役を命じられ、1588年には天正大判を製造している。貨幣史の観点からも重要な人物であるが、彫金師としても優れた作品を残した。それまでの後藤家は、小柄・笄・目貫のいわゆる三所物のみを製作していたが、徳乗の代になって鍔も製作し始めた。彼の妻は、刀の鑑定で有名な本阿弥家、光温の娘である。あるいは、絵画の狩野家とも姻戚関係があり、後藤家も家の保全のための婚姻政策に無縁ではなかったことをうかがい知ることができる。寛永八年、82歳没。 |
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[ 三所物 ]
七代・顕乗 |
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